アフリカ小僧、隠居日録

定年後の日常を、隠居所で気ままに書いてるブログです

フランス、フランス語

アテネフランセからの旅立ち

フランス語学校、アテネフランセの一階には掲示板があり、求人広告が貼ってあった。若き日の小僧は、時おり将来の就職口を探そうとチェックしていた。日本国内の仕事もあったが、一番記憶に残っているのは、アルジェリアでの通訳業務である。 御茶ノ水のアテ…

中原中也とアテネフランセ

芸能人、学者、外交官、作家、詩人などが、フランス語の私塾、アテネフランセで学んできた。詩人、中原中也(なかはら ちゅうや)もその一人だ。 汚れちまった悲しみに 今日も小雪の降りかかる 汚れちまった悲しみに 今日も風さえ吹きすぎる こんな詩を書い…

仏語学習のメッカ、アテネフランセ

アテネフランセは1913年(大正2年)設立のフランス語が学べる私塾である。小僧も1970年代、アテネに通ってフランス語の手ほどきを受けた。フルネームは長いので、アテネ、アテネと略して呼んでいたように思う。御茶ノ水駅から5分も歩けば、今もアテネフラン…

「星の王子さま」、翻訳の力

どんな名著も国境を越えてベストセラーになるためには、優秀な翻訳家と出会う必要がある。「星の王子さま」が日本でこれほどポピュラーな書籍になったのは、もちろん原作のおかげだが、翻訳家の力も大きく貢献していると思う。 この本は、長い間、内藤濯(な…

ブログと地図帳

地図帳は、小僧のブログ作成に不可欠だ。とりわけこのブログでアルチュール・ランボーやサンテグジュペリについて書いた時、小僧は何度も地図帳を開いた。ちっとも苦にならない。そして、地図上に探していたアフリカやヨーロッパの都市名を見つけた時は、小…

パリのカフェテラス、愛の形

サンテグジュペリは、「人間の土地」のなかでフランスからアフリカへ飛行したパイロットたちの勇気や責任感について語っている。さらに、人間の愛や友情についても語っている。これは、ある面きわめて哲学的な本である。世の中に広く伝えられた彼のあの有名…

フランスのアフリカ航空路開拓とサンテグジュペリ

エールフランスが発足したのは1933年8月だ。この年の2月、日本では築地署で、プロレタリア作家、小林多喜二が虐殺された、そんな時代である。列強大国は、自国の植民地経営に熱中し、さらなる領土拡大に向け衝突していた時代である。 エールフランスは、フ…

エールフランス、機上で乾杯!

北アフリカや西アフリカのフランス語圏アフリカに行く時は、パリ経由で行く。パリまでエールフランス、パリから先もエールフランスだ。 エールフランスはパリを拠点に全世界の主要都市に繋がるネットワークを構築している。とりわけ、仏語圏アフリカに対して…

ときが流れる、おしろが見える ランボー

フランスの詩人、ランボーの生まれ故郷シャルルヴィルを歩き回りながら、小僧は彼の生涯を振り返っていた。学校、教会をはじめ社会全体に反抗し、最後は少年時代から憧れていたはずの詩人や文学界にも愛想をつかし、アフリカに旅立った男、アルチュール・ラ…

アルチュール・ランボーの墓

フランスのシャルルヴィルという地方都市が、詩人、アルチュール・ランボーの生まれ故郷であり、墓もその町にある。マルセイユの病院で息を引き取った後、彼の母親と妹が取り仕切って、シャルルヴィルに墓をつくった。 詩を捨て、イエメンやエチオピアに渡っ…

アフリカのアルチュール・ランボー

アルチュール・ランボーは、フランスの詩人だった。ランボーほど、「詩人だった」という過去形が似合う男はいない。二十歳前後で詩を捨て、その後はエジプト、キプロス、イエメン、ジプチ、エチオピアなどで商人として働き、三十七歳で病に倒れる。戸板にの…

アフリカのフランス人

アフリカには、フランス語が通じる国がある。マダガスカル、コモロ、モロッコ、モーリタニア、セネガル、ギニア、ブルキナファソ、マリ、ニジェール、コートジボワールなどだ。ひとまとめに、アフリカ仏語圏とかフランス語圏アフリカと呼ばれている。 かつて…

クスクス、大皿で分け合う

クスクスは、美味い。特に、モロッコのクスクスは段違いに美味い。 今や、日本でもクスクスの名を聞いたことがある人や、食べたことのある人は多くなっているようだ。 北アフリカ諸国はもとより、フランス、イタリア、日本などでも、クスクスは食べられるの…

サンドイッチ天国、モロッコ

モロッコは、サンドイッチ天国だ。 小僧はモロッコのサンドイッチの虜(とりこ)になって、滞在中はよく食べた。高速道路での移動中にはサービスエリアの食堂で、また、街中ではカフェやパン屋でサンドイッチを頻繁に食いました。 どこのサンドイッチも、美…

パンの王国、モロッコ

前号でモロッコサラダのそばに置かれたパンの写真をアップしたが、モロッコのパンは実に美味しい。大都市でも、田舎町でも、パン屋でも、レストランでも。 写真のタジン屋のパンも美味しかった。このパンは、ホブスと呼ばれる伝統的なモロッコパンである。 …

フランス語夏季講座の思い出

前号で、1939年7月、8月と後の文芸評論家、中村光夫がツールの語学学校でフランス語の夏期講座を受けたと書いた。翌月の9月1日に第二次世界大戦が勃発するのであるから、のんきだと言えばそのとおりであるが、戦争直前の人々の暮らしというのは案外そんなも…

中村光夫のフランス滞在記「戦争まで」

中村光夫は、1988年77才で亡くなった文芸評論家であり、小説家である。小僧の世代だと、彼が「です、ます」体で、評論を書いていたことを覚えている人も多いのではなかろうか。 実は中村は、東大でフランス文学を学び、1938年フランス政府に招かれ留学した、…

日仏合同対満州投資調査と「海外で戦う人々」

1933年9月9日の東京日日新聞に、日仏合同の対満州投資調査が行われたとの記事が載っている。ネットで公開されている神戸大学経済経営研究所の新聞記事文庫のおかげで読むことができました。感謝。 満州での日本の権益を確かなものにするため、日本は国際社会…

アンドレ・モロア著「リヨテ元帥伝」、モロッコの保護領化を進めた軍人の戦略とは

前号で、漂流怪人・きだみのるが、フランスはどのようにして保護領モロッコを治めているのか調査し、それを「モロッコ紀行」にまとめたという話を書いた。きだは、多くのフランスの軍人と面談し、彼らの発言を「モロッコ紀行」に記録した。 モロッコ各地に駐…

嵐山光三郎著「漂流怪人・きだみのる」が、モロッコと満州の関係を教えてくれた

山田吉彦(後の、きだみのる)著「モロッコ紀行」には、前号で取り上げた名誉領事、アンリ・クローズと山田の出会いの場面が次のように書かれている。 「商業会議所会頭の選挙戦に乗り出しているクローズ氏を市場の前の事務所に訪ねる。彼は、これを見てくれ…

1939年、モロッコのフランス人の日本訪問

1933年から1937年まで、カサブランカで日本の名誉領事を務めたフランス人、アンリ・クローズは、1939年、日本を訪問した。Nippon Foreign Trade Federation(海外貿易会)の招待だった。 もともと、クローズは名誉領事に任命される前から、カサブランカで貿…

モロッコでのフランス語

モロッコ王国の憲法では、国語はアラビア語とベルベル語と決められている。ベルベル語というのは、北アフリカに暮らすベルベル人の言葉である。モロッコにもベルベルの人たちがいる。高速道路の表示なども、アラビア語とベルベル語で書かれている。 他方、フ…

シャンペンの泡の力

気持ちいい時、シャンペンを飲む。さらに、気持ちよくなる。 祝いたい時、シャンペンを飲む。お祝いの気持ちが、さらに大きくなる。 シャンペンは、めでたいお酒です。幸せのお酒です。少なくとも、私にとっては。 ふさぎこんだり、不安な時、シャンペンは、…

久しぶりにシャンペン

久しぶりにシャンペンを飲んだ。 高島屋のカタログに載っていたお買い得シャンペン3本セットの最後に残った1本。 ラベルにはツァリーヌTSARINEとあった。シュワーと泡立つシャンペンをグビッ、、う、うまい! きりっとした辛口で、ほのかに果実の香りと味が…

民衆蜂起を鼓舞する紙幣

親戚の年寄りが施設に移るため、古い家の片づけをしていたら、星の王子様が刷られた旧フランス50フラン紙幣が出てきたことは、前号に書いた。 それと一緒に出てきたのが、今回紹介する100フラン紙幣である。こちらも、星の王子様紙幣と同様、ユーロ導入後回…

星の王子様の紙幣

かつて、フランスの紙幣に、星の王子様とアフリカの地図、作者サンテグジュペリの顔が印刷された50フラン札があった。 ユーロ紙幣の発行の後、回収されて今は使われていない。 親戚の年寄りが施設に入るというので、家の中を整理していたら、その50フラン紙…

山田吉彦著、モロッコ紀行

小田光雄氏は、助六あこがれの読書家でかつ古書店専門家である。その小田氏が「古本夜話」というブログで、「山田吉彦とモロッコ」という文章を書いている。 「写真も収録されていると思われる日光書院の「モロッコ紀行」は長きにわたって留意しているけれど…