小田光雄氏は、助六あこがれの読書家でかつ古書店専門家である。その小田氏が「古本夜話」というブログで、「山田吉彦とモロッコ」という文章を書いている。
「写真も収録されていると思われる日光書院の「モロッコ紀行」は長きにわたって留意しているけれど、入手できていないし、未見のままである」
山田吉彦を知っている人は少ないが、「きだみのる」と言えば、高齢者であれば知っている人も多いだろう。同一人物である。
助六はひょんなことから、この貴重な「モロッコ紀行」を入手した。
奥付の著者略歴には、次のように記されている。
慶応大学経済学部を経て仏国留学、ソルボンヌ大学に学ぶ。現在アテネ・フランセに教鞭をとる。
山田吉彦が、留学先のフランスからモロッコに出発したのは、1938年。この年、日本では、国家総動員法が公布されたり、満蒙開拓青少年義勇軍第1回募集が行われていた。山田の数か月にわたるモロッコ旅行の間にも、日本は戦争の時代を突き進んでいたのである。山田はフランスから帰国後、5年ほどして、その旅行記をまとめ、日光書院から出版したのである。
コロナ前までは、モロッコは日本人にも人気の海外旅行の行き先であった。地中海と大西洋に面し、標高4千メートル級の山もあれば、サハラ砂漠にも面している。モロッコ旅行で、サハラ砂漠の岸辺をラクダに乗って楽しんだという人も多いだろう。
だが、1938年のモロッコは違う。当時、日本人はモロッコにいたのだろうか?
次号、山田吉彦の「モロッコ紀行」を読みながら、当時のモロッコと日本人の姿を探ってみよう。(次号に続く)