アフリカ小僧、隠居日録

定年後の日常を、隠居所で気ままに書いてるブログです

2023-03-01から1ヶ月間の記事一覧

NHKラジオでフランス語講座スタート!

今日は、3月31日金曜日、会社や役所は年度末だ。週が変われば、4月3日月曜日、新年度のスタートである。入社式もあるだろう。4月3日、月曜の朝は、駅や交通機関はいつもとは違う人の流れになるだろう。通勤に慣れていない新人が、人の流れを乱すだろう。…

セネガル相撲

大相撲春場所は、3月26日、モンゴル出身の霧馬山の優勝で幕を閉じた。NHKは、相撲放送が終わった直後、「ちきゅうごくなべ」という番組を放送した。 今回紹介された鍋料理は、小僧の第二の故郷である西アフリカのセネガルの鍋料理だ。チェレと呼ばれるアフリ…

WBCと青年海外協力隊

日本のプロ野球や米国のメジャーリーグの開幕が間近に迫っているが、私たちの頭の中では依然としてWBCの感動のシーンが続いている。WBCには小僧も心から感動した一人だ。 私たちがテレビで見たのは、世界で最高峰に位置する野球チームばかりだった。しかし、…

ジョージアワインを飲む

カザフスタンで石焼馬肉ステーキを食べた時、グルジアワインを注文した。これが美味かった! 今、グルジアはジョージアと呼ぶようになったので、この記事でも以下ジョージアと明記する。 石焼馬肉ステーキにあうワインをどれにしようかと迷っていた時、カザ…

絶品、カザフスタン馬肉石焼

マイナス35度、冬のカザフスタン訪問で馬肉を食べた。日本でも昔から「けとばし」と言われ、馬肉は元気の源だ。 首都アスタナで、美味い馬肉を食べさせると評判の店に行った。きれいな馬肉が大きな皿に並べられ、テーブルの上に置かれると期待がふくらむ。 …

春場所、金峰山、敢闘賞受賞おめでとう!

春場所が終わり、金峰山(きんぼうざん)が11勝4敗の好成績で、敢闘賞を受賞した。金峰山と言ってもまだ知らない人が多いかもしれない。 カザフスタン出身で、身長192センチ、体重174キロの堂々たる力士だ。春場所、10日目には小僧が贔屓(ひいき)にする元…

断食月、ラマダン

今、イスラム教徒はラマダンの最中である。今年は、3月22日スタート、4月21日終了予定だ。この1か月間、イスラム教徒は断食する。ラマダンである。 日本でもよく聞かれるようになったので、ラマダンのことを知っている人も多いと思う。小僧は6年半、イスラム…

分かち合って食べる

どんな国でも、独り占めする人間は嫌われるし、生きてゆけない。とりわけ、苛酷な乾燥地帯で生きてゆくためには、人は分かち合って食べることを教えられる。 砂漠の国、モーリタニアの友人が言っていた。 「見知らぬ旅人が宿を求めてきたら、寝るところと食…

水は命、水を探せ

「星の王子さま」でサハラ砂漠に不時着したパイロットは、携行していた最後の一滴の水を飲み干すと、喉の渇きを覚える。砂漠で水が無くなるとは、死を意味する。 砂漠で水は命だ。 パイロットと王子は砂漠で井戸を探す。王子は言う。 「砂漠がきれいなのは、…

ラクダに乗った

ラクダもバオバブも保水能力が高い。ラクダは水を飲まなくても2週間生きることができるし、バオバブも雨の降らない乾季(かんき)を生き延びることができる。 小僧にとってバオバブは住んでいたセネガルで身近な樹木であり、ラクダはセネガルの隣国、モーリ…

星の王子さまとバオバブ

バオバブとは、アフリカの一部の国で見られる樹木の名前だ。「星の王子さま」には、このバオバブが登場する。 サンテグジュペリがヨーロッパから郵便や書類を運んでいた西アフリカのセネガルでは、国を象徴する樹木と言ってもいいほどセネガル人の暮らしや感…

星の王子さまと砂漠

星の王子さまとサンテグジュペリは、砂漠で出会う。その時、パイロットであるサンテグジュペリは、サハラ砂漠に不時着していたのだ。物語の最初にこう書かれている。 「6年前にサハラ砂漠で飛行機が故障するまで、本当のことを話せる相手に会わないまま、ぼ…

「星の王子さま」、翻訳の力

どんな名著も国境を越えてベストセラーになるためには、優秀な翻訳家と出会う必要がある。「星の王子さま」が日本でこれほどポピュラーな書籍になったのは、もちろん原作のおかげだが、翻訳家の力も大きく貢献していると思う。 この本は、長い間、内藤濯(な…

若かったし、彼女の愛しかたがわからなかった(星の王子さま)

「星の王子さま」は、大人が読む本である。とりわけ、王子さまの星に種(たね)の形でやってきて、花開いたバラと王子さまの関係は、子供にはわからない。 王子さまはバラの美しさに感動し懸命に面倒を見たが、水をくれ、風よけを立ててくれ、夜はガラスの鉢…

「星の王子さま」は大人の本

サンテグジュペリの「星の王子さま」は、大人の本だ。絵本と勘違いして、子供に買い与えても、多くの子供は興味を示さない。 子供部屋に放置されたまま、運よく15年、20年捨てられずにいれば、「星の王子さま」は大人になったかつての子供に大事なことを教え…

虐殺されたモーツァルト

サンテグジュペリの「人間の土地」最終章は、「虐殺されたモーツァルト」という言葉で終わる。これは、いったい何を意味するのだろう? 子供たちは様々な才能を持って、生まれ、育っていく。すべての子供たちは、潜在的に「天才」である。サンテグジュペリは…

ブログと地図帳

地図帳は、小僧のブログ作成に不可欠だ。とりわけこのブログでアルチュール・ランボーやサンテグジュペリについて書いた時、小僧は何度も地図帳を開いた。ちっとも苦にならない。そして、地図上に探していたアフリカやヨーロッパの都市名を見つけた時は、小…

パリのカフェテラス、愛の形

サンテグジュペリは、「人間の土地」のなかでフランスからアフリカへ飛行したパイロットたちの勇気や責任感について語っている。さらに、人間の愛や友情についても語っている。これは、ある面きわめて哲学的な本である。世の中に広く伝えられた彼のあの有名…

フランスのアフリカ航空路開拓とサンテグジュペリ

エールフランスが発足したのは1933年8月だ。この年の2月、日本では築地署で、プロレタリア作家、小林多喜二が虐殺された、そんな時代である。列強大国は、自国の植民地経営に熱中し、さらなる領土拡大に向け衝突していた時代である。 エールフランスは、フ…

エールフランス、機上で乾杯!

北アフリカや西アフリカのフランス語圏アフリカに行く時は、パリ経由で行く。パリまでエールフランス、パリから先もエールフランスだ。 エールフランスはパリを拠点に全世界の主要都市に繋がるネットワークを構築している。とりわけ、仏語圏アフリカに対して…

ときが流れる、おしろが見える ランボー

フランスの詩人、ランボーの生まれ故郷シャルルヴィルを歩き回りながら、小僧は彼の生涯を振り返っていた。学校、教会をはじめ社会全体に反抗し、最後は少年時代から憧れていたはずの詩人や文学界にも愛想をつかし、アフリカに旅立った男、アルチュール・ラ…

アルチュール・ランボーの墓

フランスのシャルルヴィルという地方都市が、詩人、アルチュール・ランボーの生まれ故郷であり、墓もその町にある。マルセイユの病院で息を引き取った後、彼の母親と妹が取り仕切って、シャルルヴィルに墓をつくった。 詩を捨て、イエメンやエチオピアに渡っ…

アフリカのアルチュール・ランボー

アルチュール・ランボーは、フランスの詩人だった。ランボーほど、「詩人だった」という過去形が似合う男はいない。二十歳前後で詩を捨て、その後はエジプト、キプロス、イエメン、ジプチ、エチオピアなどで商人として働き、三十七歳で病に倒れる。戸板にの…

アフリカのフランス人

アフリカには、フランス語が通じる国がある。マダガスカル、コモロ、モロッコ、モーリタニア、セネガル、ギニア、ブルキナファソ、マリ、ニジェール、コートジボワールなどだ。ひとまとめに、アフリカ仏語圏とかフランス語圏アフリカと呼ばれている。 かつて…

クスクス、大皿で分け合う

クスクスは、美味い。特に、モロッコのクスクスは段違いに美味い。 今や、日本でもクスクスの名を聞いたことがある人や、食べたことのある人は多くなっているようだ。 北アフリカ諸国はもとより、フランス、イタリア、日本などでも、クスクスは食べられるの…

サンドイッチ天国、モロッコ

モロッコは、サンドイッチ天国だ。 小僧はモロッコのサンドイッチの虜(とりこ)になって、滞在中はよく食べた。高速道路での移動中にはサービスエリアの食堂で、また、街中ではカフェやパン屋でサンドイッチを頻繁に食いました。 どこのサンドイッチも、美…

パンの王国、モロッコ

前号でモロッコサラダのそばに置かれたパンの写真をアップしたが、モロッコのパンは実に美味しい。大都市でも、田舎町でも、パン屋でも、レストランでも。 写真のタジン屋のパンも美味しかった。このパンは、ホブスと呼ばれる伝統的なモロッコパンである。 …

オリーブ、ニンジン、タジン鍋

モロッコに滞在していた週末の昼、小僧はタジン鍋を食べることが多かった。以前、このブログで、スーパーの二階にあったイートインコーナーでポールの朝食セットを食べていたと書いた。ポールの並びにモロッコ料理を手軽に提供する店があったので、昼によく…

フランス語夏季講座の思い出

前号で、1939年7月、8月と後の文芸評論家、中村光夫がツールの語学学校でフランス語の夏期講座を受けたと書いた。翌月の9月1日に第二次世界大戦が勃発するのであるから、のんきだと言えばそのとおりであるが、戦争直前の人々の暮らしというのは案外そんなも…

中村光夫のフランス滞在記「戦争まで」

中村光夫は、1988年77才で亡くなった文芸評論家であり、小説家である。小僧の世代だと、彼が「です、ます」体で、評論を書いていたことを覚えている人も多いのではなかろうか。 実は中村は、東大でフランス文学を学び、1938年フランス政府に招かれ留学した、…