アフリカ小僧、隠居日録

定年後の日常を、隠居所で気ままに書いてるブログです

1939年、モロッコのフランス人の日本訪問

 1933年から1937年まで、カサブランカで日本の名誉領事を務めたフランス人、アンリ・クローズは、1939年、日本を訪問した。Nippon Foreign Trade Federation(海外貿易会)の招待だった。

 

 もともと、クローズは名誉領事に任命される前から、カサブランカで貿易商として活動していた。クローズの日本への招待は、日本政府や商社など民間企業が、モロッコとの貿易促進に役立つと考えてのことであったのだろう。そこには、4年間、名誉領事として勤めたクローズへの日本側からの感謝の気持ちもあったのかもしれない。

 

 クローズは、まずマルセイユに渡り、そこで夫人と息子を同伴して、日本郵船の榛名丸(はるなまる)に乗船した。マルセイユからの出発は1939年4月7日で、神戸に5月14日に到着した。神戸で出迎えたのは、元リヨンの副領事だったヤブチさんというフランス語が達者な外交官であった。

 

 この後、クローズ家族は、海外貿易会や外務省のアレンジで東京、京都などで日本の外交官、企業家などと面談したり、観光したりと、充実した日程をこなしたようだ。

 

 なぜ、このようなことがわかるかと言えば、クローズは第二次大戦後の1955年にカサブランカで、「日本散策」(PROMENADE AU JAPON)という本を出版しているからである。

 

 小僧は日本でこの本が読めるかと調べたところ、少なくとも一冊、日本にあることが判明し、借り受けて読ませていただいたという訳である。

 

 クローズが来日した1939年4月は、スペイン内戦がフランコの勝利で終結した年である。また、その前年、ドイツではヒトラーが軍の最高指揮権を握った。日本は中国での戦争を続けていたころである。

 

 クローズは、旅をつづけながら、不安定化するヨーロッパ、避難するユダヤ人、戦争に突き進む日本などを目撃し、記録していた。

 

 「モロッコ紀行」の作者、山田吉彦(後の、きだみのる)がモロッコを訪問したのは、1938年6月、クローズが日本に行く前年であった。激動の世界情勢のなか、フランスの保護領、モロッコのカサブランカで、山田とクローズも交錯するのである。山田が記録したクローズの姿を次号で紹介する。

 

アンリ・クローズ著「日本散策」 1939年に行った日本旅行の記録を、1955年12月、カサブランカで印刷出版。モロッコから日本を訪問したフランス人が見た激動の世界と日本