アフリカ小僧、隠居日録

定年後の日常を、隠居所で気ままに書いてるブログです

ときが流れる、おしろが見える ランボー

 フランスの詩人、ランボーの生まれ故郷シャルルヴィルを歩き回りながら、小僧は彼の生涯を振り返っていた。学校、教会をはじめ社会全体に反抗し、最後は少年時代から憧れていたはずの詩人や文学界にも愛想をつかし、アフリカに旅立った男、アルチュール・ランボー。19世紀後半のイエメン、ジプチ、エチオピア(いずれも現在の国名表記)などを旅し、病に倒れ、今はシャルルヴィルに眠っている。

 

 夏に訪問したシャルルヴィルは、水と緑豊かなフランスの地方都市であった。前号でも書いたが、町の公園にはランボーの像が設置されていた。今や、ランボーは、町が誇る「名士」なのだ。

 

シャルルヴィルの公園に設置されたランボーの像。どこぞの悪ガキからペンキがかけられていた。ランボーも苦笑いだろう。

 

 中原中也という日本の詩人が、ランボーの詩を訳している。

  季節(とき)が流れる、城寨(おしろ)が見える、

  無疵(むきず)な魂(もの)なぞ何処にあろう?

 

 「幸福」と題された詩の書き出しであるが、同じ詩を詩人、金子光晴は次のように訳している。

  このよい季節よ。美しい館(やかた)よ。

  誰だって、まちがいをしでかさないとはかぎらない。

 

 二人の一流の詩人が、ランボーとコラボして、自らの詩を歌いあげているようだ。

 

 ランボーが人生の後半を過ごしたイエメン、ジプチ、エチオピアは、水と緑豊かなフランス北東部のシャルルヴィルとは違い、苛酷な環境にあった。エチオピアは様々な自然環境を有しているが、イエメンの港町アデンや海を渡った対岸のジプチは暑く、乾いた土地である。

 

 イエメンは今も不安定な情勢のなか、とりわけ女性や子供たちが苛酷な生活を強いられているが、1994年5月、イエメンの北部の勢力と南部の勢力が衝突した時には在留邦人が国外脱出した。その避難先の一つが、対岸のジプチであった。縁あって小僧は避難してきた会社の仲間をジプチで迎えたが、その時、フランス人や邦人を運んでくれたのは、小僧の記憶に間違いがなければ、フランス軍艦「ジュールヴェルヌ」であったと思う。

 

 以前、このブログにも書いたが、アフリカにおけるフランスのプレゼンスというのは、よい面も悪い面も含め、圧倒的である。

 イエメンからの邦人避難の時には、小僧はフランスに感謝の気持ちを抱いた。

 

 

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