アフリカ小僧、隠居日録

定年後の日常を、隠居所で気ままに書いてるブログです

アルチュール・ランボーの墓

 フランスのシャルルヴィルという地方都市が、詩人、アルチュール・ランボーの生まれ故郷であり、墓もその町にある。マルセイユの病院で息を引き取った後、彼の母親と妹が取り仕切って、シャルルヴィルに墓をつくった。

 

 詩を捨て、イエメンやエチオピアに渡った後、彼はたくさんの手紙を書いたが、その多くは家族に宛てたものだった。少年時代から母親との関係は決して良くはなかったようだが、親より先に死んだアルチュールは母親によって埋葬された。もはや反抗しようにも反抗できず、故郷シャルルヴィルの墓地に眠っている。

 

 小僧は、病を得てアフリカから担ぎ込まれたマルセイユの病院やシャルルヴィルの墓地を訪問したことがある。もう四十年も前のことである。二つの場所に本当に行けたのか、夢のような記憶になっているが、古いアルバムにランボーが使っていた大きな旅行鞄の写真を見つけたので、まんざら夢ではなかったようだ。

 

 シャルルヴィルには、ランボー記念館なるものがあって、そこでは、彼が使っていた旅行鞄、スプーンやフォーク、地図帳などが展示されていた。小僧はガラスケースの中に陳列されたそれらの遺品を「有難く」カメラに収めたという訳だ。どこからか、「おいおい、やめてくれ」と、ランボーの声が聞こえてくるようだった。

 

シャルルヴィルのランボー記念館の陳列ケース下段には、アルチュール・ランボーが使っていた旅行鞄、その上の段にはスプーン、フォークや地図帳などが展示されていた。

 

 ランボーが少年時代から反抗してきた学校、教会、実家などがあった生まれ故郷、シャルルヴィルで、彼は今や町を代表する「名士」なのだ。墓地を探しながら、道でスーツを着た男性に「ランボーの墓のある墓地はどこか?」と訊いた。男性は小僧が日本からランボーの墓参りに来たと知ると、それはそれは心から嬉しそうな顔をして親切に道を教えてくれた。

 

 小僧のアルバムには、「ランボー書店」という本屋の看板やランボーの胸像の写真まで貼ってあった。胸像の方は、頭からペンキがかけられていたのを覚えている。ランボー自身があの世から来て、かけていったような気がしたのを思い出した。

 

 フランスが最も美しい季節、夏に、シャルルヴィルというフランス北東部の小さな町で、(と言っても県庁所在地であるが)過ごした一泊二日の小旅行は、セルフサービス・レストランでの肉料理の付け合わせで食べたジャガイモのピューレが大変美味かったことと合わせ、小僧の記憶の宝物である。

 

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