山田吉彦(後の、きだみのる)著「モロッコ紀行」には、前号で取り上げた名誉領事、アンリ・クローズと山田の出会いの場面が次のように書かれている。
「商業会議所会頭の選挙戦に乗り出しているクローズ氏を市場の前の事務所に訪ねる。彼は、これを見てくれと一つの紙片を差し出す。見ると「日本の走狗クローズを倒せ」という冒頭で始まる人民戦線派のビラである」
クローズは、日本から頼まれて名誉領事になったのだが、日本とモロッコのために動くクローズを敵とみるフランス人もいたのだろう。フランス、ドイツ、米国、英国、日本など各国は、アジア、太平洋地域、アフリカなどで支配地域を拡大するため、争ったり、手を結んだりしていた時代である。
「モロッコ紀行」を読むと、山田が勝田領事、そのほかの在留邦人やクローズに面談したことがわかる。これは異国の地を訪れたときの当然の日程であろう。しかし、面談相手はそれだけではない。実は、駐留するフランス軍の将校たちとも会っているのだ。そして、どのようにして、フランス(軍)がモロッコ(人)を支配しているのか、その方法について具体的に調査しているのである。
いかに留学先のフランスの有力者の紹介があったとしても、ここまで便宜供与が与えられるかというほど、モロッコ各地のフランス軍幹部がきだを歓待し、情報を提供している。
ここから、山田のモロッコ訪問の真の目的は何だったのか?という問いが小僧の中で湧いてきた。
謎解きに大きな示唆を与えてくれたのが、嵐山光三郎著「漂流怪人・きだみのる」である。この本の中で、きだみのるが言うには、日本に帰国した彼に、満州映画協会の甘粕正彦理事長から満州で情報部門の仕事をしないかと誘われ、満州国の首都、新京を訪れた、そして最終的にその誘いを断ったというのだ。
「甘粕はきだドンのどこが気にいったんですかね」と、嵐山は訊いた。きだの答えに、小僧はびっくりした。
「モロッコは、フランスの満州だよ」
「甘粕は、フランスがいかにしてモロッコを支配したかを知りたがった。(中略)日本と共通するのは統治する保護領に国王がいることさ」
フランスのモロッコ支配の方法は、日本の満州でも参考になると考えられていたのだろう。
二人の面談時、「モロッコ紀行」はまだ出版されていなかったが、甘粕はきだがモロッコでフランスの保護領のマネジメント方法を調査していることを知っていたのだろう。蛇の道は蛇である。それとも、きだのモロッコ紀行そのものが日本の満州関係機関や日本政府からサポートされていたのだろうか?この点は、小僧にはまったくわからない。
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