アフリカ小僧、隠居日録

定年後の日常を、隠居所で気ままに書いてるブログです

アフリカ

子どもの日

明日、5月5日は端午の節句。まだ、しょうぶ湯の用意はしていないが、柏餅は4月下旬から何度も食べてきた。 「子どもの日」でもある。明日は、日本各地で子どもの権利条約や、世界や日本の子どもたちが置かれた状況についてのイベントが開催されるのだろう。…

アテネフランセからの旅立ち

フランス語学校、アテネフランセの一階には掲示板があり、求人広告が貼ってあった。若き日の小僧は、時おり将来の就職口を探そうとチェックしていた。日本国内の仕事もあったが、一番記憶に残っているのは、アルジェリアでの通訳業務である。 御茶ノ水のアテ…

羊の丸焼き、メシュイ

「おもてなし」は、どこの国にもある。日本だけが「おもてなし」をしているわけではない。小僧は60か国以上の国を訪問してきたが、それぞれの国に客人をもてなす儀式や食事があることを理解した。 小僧が7年近く暮らしていた北アフリカや西アフリカにも当然…

ブログと地図帳

地図帳は、小僧のブログ作成に不可欠だ。とりわけこのブログでアルチュール・ランボーやサンテグジュペリについて書いた時、小僧は何度も地図帳を開いた。ちっとも苦にならない。そして、地図上に探していたアフリカやヨーロッパの都市名を見つけた時は、小…

パリのカフェテラス、愛の形

サンテグジュペリは、「人間の土地」のなかでフランスからアフリカへ飛行したパイロットたちの勇気や責任感について語っている。さらに、人間の愛や友情についても語っている。これは、ある面きわめて哲学的な本である。世の中に広く伝えられた彼のあの有名…

フランスのアフリカ航空路開拓とサンテグジュペリ

エールフランスが発足したのは1933年8月だ。この年の2月、日本では築地署で、プロレタリア作家、小林多喜二が虐殺された、そんな時代である。列強大国は、自国の植民地経営に熱中し、さらなる領土拡大に向け衝突していた時代である。 エールフランスは、フ…

ときが流れる、おしろが見える ランボー

フランスの詩人、ランボーの生まれ故郷シャルルヴィルを歩き回りながら、小僧は彼の生涯を振り返っていた。学校、教会をはじめ社会全体に反抗し、最後は少年時代から憧れていたはずの詩人や文学界にも愛想をつかし、アフリカに旅立った男、アルチュール・ラ…

アルチュール・ランボーの墓

フランスのシャルルヴィルという地方都市が、詩人、アルチュール・ランボーの生まれ故郷であり、墓もその町にある。マルセイユの病院で息を引き取った後、彼の母親と妹が取り仕切って、シャルルヴィルに墓をつくった。 詩を捨て、イエメンやエチオピアに渡っ…

アフリカのアルチュール・ランボー

アルチュール・ランボーは、フランスの詩人だった。ランボーほど、「詩人だった」という過去形が似合う男はいない。二十歳前後で詩を捨て、その後はエジプト、キプロス、イエメン、ジプチ、エチオピアなどで商人として働き、三十七歳で病に倒れる。戸板にの…

アフリカのフランス人

アフリカには、フランス語が通じる国がある。マダガスカル、コモロ、モロッコ、モーリタニア、セネガル、ギニア、ブルキナファソ、マリ、ニジェール、コートジボワールなどだ。ひとまとめに、アフリカ仏語圏とかフランス語圏アフリカと呼ばれている。 かつて…

クスクス、大皿で分け合う

クスクスは、美味い。特に、モロッコのクスクスは段違いに美味い。 今や、日本でもクスクスの名を聞いたことがある人や、食べたことのある人は多くなっているようだ。 北アフリカ諸国はもとより、フランス、イタリア、日本などでも、クスクスは食べられるの…

フランス語夏季講座の思い出

前号で、1939年7月、8月と後の文芸評論家、中村光夫がツールの語学学校でフランス語の夏期講座を受けたと書いた。翌月の9月1日に第二次世界大戦が勃発するのであるから、のんきだと言えばそのとおりであるが、戦争直前の人々の暮らしというのは案外そんなも…

星の王子様の紙幣

かつて、フランスの紙幣に、星の王子様とアフリカの地図、作者サンテグジュペリの顔が印刷された50フラン札があった。 ユーロ紙幣の発行の後、回収されて今は使われていない。 親戚の年寄りが施設に入るというので、家の中を整理していたら、その50フラン紙…