アフリカ小僧、隠居日録

定年後の日常を、隠居所で気ままに書いてるブログです

分かち合って食べる

 どんな国でも、独り占めする人間は嫌われるし、生きてゆけない。とりわけ、苛酷な乾燥地帯で生きてゆくためには、人は分かち合って食べることを教えられる。

 

 砂漠の国、モーリタニアの友人が言っていた。

 

 「見知らぬ旅人が宿を求めてきたら、寝るところと食べ物を7日提供する。名前は尋ねないし、どこから来てどこへ行くのかも問わない。7日経っても名乗らない時には、初めて遠慮がちに「あなたは誰か?」とそっと訊きます。そのように教えられてきた」

 

 モーリタニアで食事は大皿で出されることが多い。こうした食事の出し方であれば、突然の客人の来訪にも困らない。みんなが少しずつ食べる量を減らせば、客人も食べることが出来る。

 

 モーリタニアに限らず、隣国のセネガル、マリなどでも同じように人を受け入れ、同様な食べ方をする。砂漠の国や砂漠周辺の国の人たちは、こうして分かち合って食べることで、旱魃(かんばつ)や旅の苦難を乗り切ってきた。

 

各人が食べる量を少し減らせば、突然の来訪者も食べることが出来る。この日の食事は、羊の肉まで入っていて豪勢だ。最近はスプーンを使うことが多いような気がするが、これは外国人である小僧への気遣いか?

 大皿や洗面器のような器に盛られた食事は、油やスパイスがいい味を出して美味かった。

 

 分かち合って食べることが、共に生きてゆくことである。富や食事を独り占めしても楽しくないし、そんな経済や人生は破綻(はたん)することだろう。

 

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