アフリカ小僧、隠居日録

定年後の日常を、隠居所で気ままに書いてるブログです

虐殺されたモーツァルト

 サンテグジュペリの「人間の土地」最終章は、「虐殺されたモーツァルト」という言葉で終わる。これは、いったい何を意味するのだろう?

 

 子供たちは様々な才能を持って、生まれ、育っていく。すべての子供たちは、潜在的に「天才」である。サンテグジュペリは、こんな風に考えていたようだ。

 

 ところが現実には、この「天才」たちは大事にされていない。サンテグジュペリは次のように書いている。

 

 「花園に、新しい薔薇の変種ができると、園丁(えんてい)たちは大騒ぎする。人はその薔薇を別に取り分け、人はその薔薇を培養し、人はその薔薇を大事にする。ただ人間のためには、園丁がいない。少年モーツァルトも、他の子供たちと同じく、金属打抜き機にかけられる運命だ」(「人間の土地」新潮文庫、231ページ)

 

 子供一人一人が持っている「天才モーツァルト」は、戦争、社会の不平等、画一的に運営される教育の現場などで、押しつぶされ、やがて「大人」になっていく。こうした子供時代から「大人」になる人間の「成長過程」を、サンテグジュペリは「虐殺されたモーツァルト」という言葉で表現したのだと思う。

 

 サンテグジュペリもまた、自らの「成長過程」、大人になる過程である種の「居心地の悪さ」を感じていた一人かもしれない。パイロットという1920年代には、先駆的な職業人の道を歩みながらも、「大人になれない」自分、「永遠の子供」である自分を感じていたようだ。

 

 「人間の土地」が発行されたのは、1939年、それから4年後の1943年、サンテグジュペリ43才の時に発行されるのが、皆さんよくご存知の、少なくともそのタイトルは聞いたことのある「星の王子様」である。

 

 この本に出てくる「王子」と「パイロット」の物語こそ、「虐殺されたモーツァルト」と「大人」になったものの居心地の悪さを感じていたサンテグジュペリの対話である。

 

 次号では、「星の王子様」について、書いてみたいと思います。

 

 

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