七十才を超えて、せっかちになったと感じる。人生の先輩から聞いていた通りだ。街中でも、せっかちな高齢者、とりわけ男性の姿をよく見かける。
スーパーのレジ待ちの時、前の方の人が少し手間取ると、「どうしたんだ?」と、背伸びしたり、体を斜めにして、様子を窺う。こうした行動によって、「はやくしろ!」とあおるのだ。
同年輩なので、小僧もきっと同じような行動をしているのだろうと考えると、これはやめなくてはと痛感する。くわばら、くわばら。
せっかちくらいで収まればいいが、その先は「キレる」高齢者にまっしぐらだ。なぜ、高齢になるとキレやすくなるのか?駅員、店員、役所や銀行の窓口担当者に大声でキレまくっている同輩を見ると、明日は我が身、いや明日ではない、あれは昨日の自分と思いあたり、身が縮む思いになる。
ネットで調べると、「高齢になると前頭葉が小さくなり、前頭葉の機能低下で感情が抑えられなくなる」とあった。自分の性格が悪くなったのではなく、前頭葉のせいと理解すれば、気が楽になる。が、待てよ。外見からは前頭葉は見えないので、周囲の人からすれば、やはり「性格の悪い、短気高齢者」ということになるのだろう。くわばら、くわばら。
自分のためにも、周囲のためにも、どうしたら「キレる高齢者」のリスクを下げることができるのか、本を探した。ありました。
早速、地元の図書館で予約したところ、50人待ちだ。怒り心頭、爆発寸前。
「なんで、もっとたくさんこの本を揃えておかないのか!これじゃ、2年以上読めないじゃないか。館長、出てこい」
くわばら、くわばら。これこそ、短気高齢者、前頭葉が小さくなった男の反応だ。
それにしても、多くの70歳過ぎた高齢者が、己(おのれ)の怒りの感情をコントロールできず悩んでいるからこそ、50人もの市民がこの本を読むため、我慢強く待っているのだ。
いつ爆発するかわからないダイナマイトを頭の中に隠しながら、今日も我々高齢者は、街を歩く。くわばら、くわばら。前頭葉を軽くたたきながら、穏やかに、穏やかに、人生が終えられますようにと祈りながら。
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