アフリカ小僧、隠居日録

定年後の日常を、隠居所で気ままに書いてるブログです

街を歩いて古本を買う人生

 植草甚一著「ぼくの読書法」(晶文社)を読んだ。植草甚一(1908年-1979年)は、欧米のミステリーや映画、ジャズを日本に紹介し続けた人だ。小僧が学生だった1970年代、街歩きと古本をテーマに魅力的なエセーを書き続けていた。

 

 当時、植草甚一に憧れた若者も多かったと思う。何より、植草甚一は自由人だった。毎日、経堂の自宅から神保町や渋谷、横浜などの街を歩き、古本屋を覗き、古本を買う。疲れたら、喫茶店に入りコーヒーを飲みながら、買ったばかりの古本を撫でまわすのだ。

 

 

 あらためて、「ぼくの読書法」を読んで、植草の歩いた距離が半端でないことが分かった。神保町でも、横浜でも、くまなく古本屋を見て回る。たとえば、ある日の横浜の古本屋巡りは次のようだ。

 

 「一時間以上あるくとやはり疲れを感じてくる。けれど、また引き返して喜久屋の角を曲がり、真直ぐに歩いて南京町へ出る。ここで焼腸かなにかを土産に買ってから、吉浜橋へ出る途中のフランソワという珈琲店で一休みする。ここのコーヒーの味にかなう店が、銀座にいったい何軒あるだろうか。そう考えながら、買った本の冊数をしらべ、十冊に足りないときは第二のコースを歩かないではいられない」(本書 20頁より引用)

 

 古本屋巡りの合間に植草が一休みする喫茶店が随所に出てくる。これが植草ファンにはたまらない。今風に言えば、聖地である。

 

1970年代には、本に囲まれた部屋で時間を過ごしたいと考えた若者がいました。小僧もそうでした。今では、流行らないファッションかもしれませんが、当時は、植草甚一の部屋に憧れた小僧でした(写真by小僧)

 

 植草のエセーでは、買い求めた古本のタイトルは紹介されるが、評論家風のもっともらしい解説は一切ない。読者によっては、「この人、買った本をホントに読んでるの?」というような問いかけも出てきそうだが、愚問である。植草甚一にとっては、古本屋訪問と古本購入が第一の目的なのだ、と小僧は理解している。

 

 だから、満足できる古本の冊数に達していなければ、植草はさらに遠くの古本屋まで足を延すのだ。獲物を求めるハンターと同じだ。満足できる数の獲物、すなわち古本を確保できるまで街を歩き続け、獲物を経堂の自宅に持ち帰るのだ。

 

 毎日、街歩きと古本購入に忙しくて、買った本をじっくり読むことなど無理なのだ。え?それは変だ?本は読むべきもの?植草ファンの小僧は、こう答える。

 

 これで、いいのだ!

 

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