平岡梓(ひらおか あずさ)は、作家、三島由紀夫の父親だ。その父親が、事件後、息子の生涯を一冊の本にまとめた。それが、文春文庫の「伜・三島由紀夫」である。文庫になる前、単行本としても出版されている。
事件とは、昭和四十五年(1970年)十一月二十五日、三島由紀夫が市ヶ谷の自衛隊に乱入し、割腹したことを指す。小僧は高校三年生だったので覚えているが、今やこの「事件」を知らない人も多いのではないだろうか。
息子が、亡くなった父親のことを本にすることは多いのかもしれないが、その逆は悲しい。余りに悲しすぎる。小僧は、悲しい本や映画は見ないようにしているが、この本だけは読んでしまった。
悲しい本が苦手な小僧でも読めてしまったのは、筆者が最愛の息子を失った悲しみを前面に出さない姿勢によるのかもしれない。筆者の時に癖のある世の中の見方が随所にあって、小僧も何度か苦笑いした。たとえば、こんな具合だ。
「事件直後、いろいろな週刊誌に「心の友が語る」といったような記事が次々とあらわれましたが、(中略)読まされる方の身にもなってもらいたいものです。記事の出鱈目ぶりにもあっけにとられました。(中略)もっとも彼らのひけらかしを自己満足させ、しかもなにがしかの稿料も出たとあれば、これも何かの功徳と言うべきで、伜にも以て瞑してもらいましょう」(本書、27頁より引用)
なかなか辛辣なお父さんであり、すごいと思う。こうした視点は随所に出てくる。
さて、両親と同じ敷地内で所帯を持っていた三島由紀夫は毎晩、母屋を訪ねていたと書かれている。今時の親子断絶とは程遠い、親思いの作家の姿が書き留められている。
そんな暮らしだったから、両親は事件直前の息子の変化に気づいていた。後で思えば、何故あの時、ああしておけば、こうしておけば、事件を防げたのではないか、と読者も両親とともに思うところがある。筆者、平岡梓がどんなに冷静に筆を進めていても、やはり小僧は残されたご両親が気の毒に思う。
三島由紀夫は学業を終えて大蔵省に入り、父親の平岡梓氏も元々官僚である。そんな経歴から、小僧が勝手に想像していたエリート臭漂う父子とは全く違う、平岡父子の姿が書かれている本書を興味深く読ませていただいた。
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