林哲夫編「喫茶店文学傑作選」(中公文庫)を読んだ。
今どき、「喫茶店」と言う言葉を使う人がいるのか?と、思ってしまうほど、廃れた言葉かもしれない。
最近の日常会話では、「スタバに行く?」とか「カフェに入る?」とか言う方が多いのかもしれない。小僧が学生だった1960年代、70年代は、喫茶店と言う言葉が一般的だったと思う。
渋谷、新宿の街にも「喫茶○○」という看板が今よりはるかに多く見られた。純喫茶、名曲喫茶、同伴喫茶、深夜喫茶などと言う言葉も使われていた。
「喫茶店文学傑作選」では、小説や随筆のなかに喫茶店が登場する作品を紹介している。明治以降、日本の作家にとって喫茶店が身近なものであったことがよくわかる一冊だ。
夏目漱石、中原中也、植草甚一、伊達得夫、高平哲郎、山田稔など、小説家、詩人、編集者などの文章に喫茶店が登場している。作家や文化人は、喫茶店が好きだったことがよくわかる本だ。
彼らにとって、喫茶店は打ち合わせ場所であり、仕事場であり、休息の場だった。編者の林哲夫が解説で次のように書いている。
「喫茶店と文学は相性がいい。喫茶店には人が集まる。見ず知らずの通りすがりもあれば、常連もいる。人の交差するところに物語が生まれる」
確かに、この言葉は今のスタバやカフェにも当てはまるかもしれない。小僧自身は、ふところ具合が厳しいので、スタバやカフェを外から眺めるだけの人間になってしまったが、それでいいのだ。物語はもう十分で、事件もドラマも起こらない方が有難い。