1970年代、文筆家、植草甚一氏は小僧の憧れの人だった。「文筆家」と書いたが、植草甚一は何者であったのか、いまだにわからない。作家?エッセイスト?評論家?実に不思議な人だった。
小僧や多くの若者が憧れたのは、植草甚一の暮らし方、ライフスタイルだったのではないか?植草甚一のライフスタイルとはどんなものだったのか?
植草甚一は大変な読書家だった。いや、読書家と言うより、蔵書家であった。本そのものについて、長々書くことはなかった。それよりも、その本をどこで、どんな風に手に入れたのかについて、魅力的に語っていた。
だから、植草の本には、小田急線の経堂の自宅を出てからの道筋、神保町などの古書店名、さらに本を買った後に一休みする喫茶店などが書かれている。これこそ、植草節だ。
1970年代、小僧はそんな植草の文章に痺(しび)れました。そして、いつか自分も植草甚一のような暮らしがしたいものだと憧れていた。
あれから50年。小僧はそれを手に入れました。今や、小僧は膨大な自由時間を所有している。足も動くし、電車に乗れる。少し衰えたとは言え、本に関する好奇心も失っていない。
足りないのは、本や喫茶店に使う資金だが、立ち読みや図書館の本、さらには自宅でのコーヒーで代替しよう。そうすれば、今や、僕もあなたも、植草甚一だ。毎日を散歩や収集に費やそう。が、さて、何を収集したらいいのか?
晶文社から発行された「植草甚一の収集誌」を読めば、彼が何を収集していたのかがよくわかる。すなわち、古本、レコード、アクセサリー、郵便切手、カメラ、ボールペン、ライターなどなどだ。
植草甚一の好奇心の幅は尋常ではなかった。やはり、植草甚一先生は、時間を持て余しているだけの短気高齢者では手が届かない、今も憧れの存在のようだ。