アフリカ小僧、隠居日録

定年後の日常を、隠居所で気ままに書いてるブログです

淀橋浄水場

 生まれ育った家は、淀橋浄水場まで歩いて十分ほどの所にあった。淀橋浄水場と言っても、知っている人は少ないだろう。ヨドバシカメラは、この地、淀橋でスタートしたので社名に「ヨドバシ」とあるのだろう。

 

 子どもの頃、親や大人は、「淀橋浄水場は玉川上水を通ってきた水をきれいにして、東京の人たちに飲ませているんだよ」と説明してくれていた。

 

 

 今、ネットで調べても、そのような説明がされている。明治31年(1898年)から昭和40年(1965年)まで浄水場としての役目を果たしていた。水の処理方式は「緩速ろ過」とある。ろ過池の砂層に水を通し、砂層で繁殖した微生物の力で水をきれいにする方式か。

 

 実は小僧、小学生の時に淀橋浄水場の見学に行った記憶がある。広大な敷地に大きなプールのようなものが何面もあった。その時、プールの下に砂が敷かれていると説明された(と、記憶しているのだが、妄想か?)渡り鳥も来るような広大な水面が広がっていた。

 

広大な淀橋浄水場(三井住友トラスト不動産、「写真でひもとく街のなりたち」から引用)

 

 1965年で浄水場の役目は終了した。その後は、高層ビルが林立する新宿副都心に変わっていったのである。副都心は浄水場跡地にできた街なのである。

 

 浄水場は塀で囲われ、夜など、追いはぎのような物騒な輩(やから)も出ると親から聞かされていたが、真偽はわからない。暗くなったら、子どもたちが家に帰るように親が脅かしていたのかもしれない。

 

 今では想像もできないが、淀橋浄水場の周りには昭和の漆黒の闇が拡がっていたのである。

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