子ども時代をその近くで過ごした西新宿には、十二社(じゅうにそう)と呼ばれる地域がある。前号で書いたスタジオゼロから甲州街道方面になだらかな坂道が続いているが、その右側である。
道沿いに小さな池があった。子どものころは、この池でアメンボーを見たり、もしかしたらザリガニ釣りもしたかもしれない。池の周りには料亭のようなものが建っていた。その辺一帯が、今や死語になりつつある三業地だった。芸者さんが歩いていたのも子ども心に覚えている。
大人たちの説明によれば、新橋など都心での遊びに飽きた人や都心で遊べない人などが十二社あたりに流れて来たというようなことを聞いたが、真偽はわからない。はっきり言えることは、淀橋とか十二社、いや新宿全体が、都心ではなく一段下の繁華街だったということだろう。今では、料亭も芸者さんも消えてしまった。
池の並びに、十二社温泉があった。1957年開業で、小僧も子どものころ何度か行ったことがある。その後、ビルの地階で営業を続けていたが、残念ながら2009年に営業終了となった。
池をはさんで、三業地と反対側に、熊野神社があった。こちらは、今も健在である。熊野神社の脇を甲州街道の方に歩いてゆくと、東京生命の野球場があった。ここでバッタを捕ったり、タンポポを摘んだりして遊んだ。1950年代の東京はのどかだった。
新宿副都心計画とともに、東京生命の野球場は新宿中央公園の一部になってしまった。十二社池も、十二社温泉もマンションになってしまった。
東京生命の野球場のことなどすっかり忘れていた小僧だが、このブログを書きながら突如として思い出した。まことに、ブログを書くという事は、深海に沈んだ記憶の断片を突如として浮上させる効果があるようだ。
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