アフリカ小僧、隠居日録

定年後の日常を、隠居所で気ままに書いてるブログです

山椒魚

 井伏鱒二の「山椒魚」を読んだ。日本で教育を受けた人なら、誰もが知っている短篇小説だ。

 

 小僧も、題名や大まかなストーリーは知っていた。要すれば、山椒魚が岩屋に閉じ込められて出られなくなる、そんなお話だ。岩屋とは、川などの岩にできた隙間、空間のことだ。

 

 

 しからば、なぜ山椒魚は岩屋に閉じ込められたのか?70才を過ぎて、突然湧いた疑問に、小僧はこだわった。天下に職を失い隠居所に暮らす小僧も、山椒魚と同じく閉じ込められていると時に感じることがあるからだ。

 

 再読して驚いた。山椒魚は誰かに閉じ込められたのではなく、岩屋で二年間、動かず暮らすうちに頭が大きくなり、岩の隙間、すなわち岩屋から出られなくなったのである。つまり、山椒魚を幽閉したのは、動かなかった自分自身と時間のせいなのだ。

 

筑摩書房刊「井伏鱒二全集」第一巻に「山椒魚」は収録されている。各社から発行されている文庫本でも「山椒魚」は読むことが出来る。学校教育の現場でも取り上げられているので、国民的に有名な短篇といえるだろう。(写真by小僧)

 では、二年間、山椒魚は動かず何をしていたのか?どうも、物思いにふけっていたようだ。二年経ち、頭でっかちになって、頭が岩屋の隙間にひっかかって外に出られなくなった山椒魚は、こう言うのだ。

 

 「くったくしたり物思いに耽ったりするやつは莫迦だよ」

 

 莫迦は自分だ。そして、大方の人間は人生の一時期、物思いにふけって自分を幽閉するのではないだろうか?こうした時間を人生で持つことなく、常に動き回り、川の流れに乗って器用に生き続ける人は莫迦ではないが、さて何と言うべきか?

 

 少なくとも一つだけはっきり言えることは、山椒魚のように物思いにふけった時間が、井伏鱒二を井伏鱒二にしたのだという事だ。

 

 隠居所で

 小僧もいつか

 山椒魚      (小僧)

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