アフリカ小僧、隠居日録

定年後の日常を、隠居所で気ままに書いてるブログです

戦争の影

 1962年(昭和37年)公開の小津安二郎監督「秋刀魚の味」には、随所に戦争の影ともいうべきものが見え隠れする。終戦から17年経っても、人々の暮らしや心に、戦争は影を落としているのだ。

 

 

 主人公(笠智衆)は、戦争中、海軍に行った。そこで部下として仕えたのが、加藤大介だ。二人は偶然、場末のラーメン屋で出会う。

 

 笠智衆は戦後、先輩の紹介で、それなりの規模の企業に入社し、今や役員のようだ。加藤大介は、本人曰く「自動車の修理屋のオヤジ」になった。二人とも、戦後の混乱の中で、なんとか暮らしてゆく道を見出したと言える。

 

 加藤が誘って、なじみのバーに行く。そこで、マダム(岸田今日子)が加藤のお気に入りのレコードをかける。「軍艦マーチ」だ。笠智衆と加藤大介は、「軍艦マーチ」を聴きながら、海軍式の敬礼を行うのだった。

 

 加藤大介が、戦争を振り返って、こう言う。

 

 「馬鹿な野郎たちが威張り腐った、いやな時代だった。いいえ、艦長、あんたのことじゃない、あんたはいい人だった」

 

 記憶に基づいて書いているので、細部に正確さを欠くかもしれないが、概ねこんなセリフだったと思う。

 

 「秋刀魚の味」の加藤大介は、ラーメン屋と「軍艦マーチ」の場面にしか登場しないのだが、実にいい演技をしています。(偉そうに、ス、スマンです)

 

 政府の経済白書の序文で、「もはや戦後ではない」と書かれたのは、1956年だ。確かに、1962年の「秋刀魚の味」は、一人一人の暮らしが豊かになっているのが感じられる映画だ。映画の中で飲んだり、食べたりする店の様子や、野球のナイターの場面、若い夫婦が住む団地の映像は、「もはや戦後ではない」経済発展を続ける日本の力を感じさせる。

 

 しかしながら、小津安二郎監督は、さりげなく戦中や戦後の暮らしの大変さや軍国時代の理不尽さを「秋刀魚の味」のなかに織り込んでいるのだ。全日本人を巻き込んだ戦争の記憶は、「もはや戦後ではない」と政府のレポートで書かれても、簡単には消し去ることのできないものだと理解される。

 

 小津安二郎は、岩下志麻演じる娘の結婚話の映画にも、戦争の記憶をさりげなく織り込んでいる。だからこそ小津映画は、市井に生きる多くの人々の共感を得ているのだと感じる小僧である。

 

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