アフリカ小僧、隠居日録

定年後の日常を、隠居所で気ままに書いてるブログです

社交の小道具

 社交とは何か?社交とは、社会のなかで人々と交際することのようだ。昔はこの言葉、もっと聞いたように思うがいかがだろう?たとえば、「社交ダンス」「あの人は社交的だ」「社交辞令」などなど。

 

 今、社交と言う言葉が使われる頻度は落ちたかもしれないが、社交の重要性や価値が下がったとは思えない。我々、高齢者も「健康でハツラツと生きるためには、社会との接点を保つことが大事ですよ」と、専門家からアドバイスされる。まさに、「社交的であれ」と、言われているようなものだ。

 

 社会との接点を持てば、脳や心が刺激され、いいような気がする。しかし、もろ刃の刃で、これがストレスにもなる。人生の達人なら、うまくバランスを取るのだろうが、我々凡人には、ここら辺が難しいところだ。

 

 映画監督、小津安二郎の作品に出てくる登場人物たちは、実に社交的でうらやましい。何度も作品を見て気づいたのは、社交の小道具ともいうべきものが、随所に散りばめられているということだ。

 

 たとえば、ゴルフ。小津の「秋日和」と言う映画では、オヤジ三人がゴルフ場で、亡き友人の娘(司葉子)の縁談について作戦会議をする。

 

 

 たとえば、バー。「秋刀魚の味」では、主人公の笠智衆が海軍時代の部下(加藤大介)とバーで飲む。バーのマダム(岸田今日子)が男二人のおしゃべりにうまく入って、和ませてくれる。

 

 たとえば、「秋刀魚の味」のとんかつ屋。笠智衆の長男(佐田啓二)は、妹(岩下志麻)が恋心を持っている会社の後輩に「君、誰か付き合っている人はいるのか?」と、とんかつを食べながら尋ねる。

 

 会議室や手紙で本音は聞きづらい。とんかつ屋だからいいのだ。これが社交の力だ。会社帰りの二人が、美味そうにビールを飲み、とんかつを食べるシーンは何度見てもいい。

 

 映画から社交の場面が消えたら、映画は成り立たないかもしれない。とりわけ、小津映画は、社交の場面、そのものの魅力で成り立っていると言ってもいいくらいだ。そのため、小津映画では、酒席、ゴルフ、とんかつ屋、ラーメン屋、すし屋などが、社交の小道具として織り込まれている。登場人物たちは、そこで実に生き生きと、またある時は淡々と、飲み、食い、話す、社交の達人である。

 

 ゴルフもできない、酒もそんなに飲めない、しゃべるのも下手な小僧は、社交の小道具が目の前にあっても、それをうまく使えない不器用者だ。だからこそ、社交的な小津映画の登場人物たちに憧れを持ちながら、今日も「秋日和」や「秋刀魚の味」を見るのである。

 

(読んでいただき、ありがとうございます。ブログランキング参加中。下のバナー、タップしていただければ、励みになります)

 

スポンサーリンク