小津安二郎監督の「麦秋」の主人公一家は、北鎌倉駅を使っている。ところで、麦秋とは何か?5月下旬から6月の梅雨前の時期を意味するらしい。北鎌倉をはじめ関東では、最もすがすがしい時期である。勝手に秋をイメージしていた自分が恥ずかしい。
映画「麦秋」は、1951年(昭和26年)、松竹大船撮影所で作られた。まだ、戦争の傷跡が町の風景や人の心に残っていた時代だと想像する。ちなみに、小僧が生まれる前年である。
ストーリーと言えば、小津映画のいつものとおり、主人公の原節子の縁談話である。原節子の家は、学者の父、医師の兄と、これまたいつものとおり、恵まれている。なにもかも、いつものとおりで、大きな事件も起きないのに、引き込まれ見続けてしまうのが、小津映画のすごいところだ。
でも、考えてみれば、娘や妹の結婚というのは、遠い国の戦争と同じくらい、場合によってはそれ以上に大きな事件かもしれない。いや、こんな比較はおかしいか?
原節子と映画の最後で結婚することになる男性が、朝の通勤時、北鎌倉駅のホームで交わす会話がしゃれている。
「面白いですね「チボー家の人々」」
「どこまでお読みになって?」
「まだ四巻目の半分です」
「そう」
「チボー家の人々」は、1922年に発行されたフランスの長編小説である。第一次世界大戦をはさむ10年間のフランスの青年たちの激動の人生を描いた小説である。日本では、山内義雄が1922年から翻訳を開始、1952年に全巻が翻訳された。
まさに、「麦秋」が制作されたころ、戦争、自由、家族、青春、愛をテーマにした「チボー家の人々」の翻訳本は日本で全巻読めるようになりつつあったのだ。こうした本を映画の「小道具」として、さりげなく使う小津安二郎は、時代を記録する天才である。(偉そうに言って、ス、スマンです)
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