路上で料理を提供するストリートシェフは、今や日本人にも認知されてきた。今回、紹介するのはストリートシェフではなく、アフリカのストリート商人たちだ。
小僧が暮らしていた西アフリカのセネガルにもストリートで商売する人たちがたくさんいた。屋台のような店も持たず、ストリートを歩きながら商売する彼らを、現地では「バナバナ」と呼ぶ。
バナバナから寄ってくることもあるし、ただ黙々と歩き続けるバナバナもいる。しつこく付きまとうバナバナもいれば、淡白なバナバナもいる。人それぞれだ。扱う商品も、バナバナによっては小物ではなく、大物を売り歩く場合もある。
バナバナの売り歩く商品を見て、季節を感じることもある。アフリカ、セネガルと言っても、一年中同じように暑いわけではない。首都ダカールでは、12月、1月になれば25度くらいになって、肌寒く感じるから不思議だ。こうなると、革ジャンやセーターを売り歩くバナバナも出てくる。反対に7月、8月になれば、浮き輪や家庭用のビニールのプールなど売り歩く。
昔から、どこの国にもストリート商人はいたし、今もいる。落語にも、物売りの声出しを勉強する若旦那が出てくるし、フランス19世紀の詩人ボードレールは、散文詩集「パリの憂鬱」のなかに、ストリートを歩きながらガラスを売り歩くガラス屋を登場させている。
ストリート商人には、ちゃんとした店を持つことを夢見る人もいれば、就活しながらバナバナをしている人もいる。難しい言葉でいえば、彼らはインフォーマルセクターで働き、売り上げは国の統計に反映されないことが多いし、国の税収にもつながらない。
バナバナをはじめとするインフォーマルセクターの経済活動は、セネガルの国家運営にとって大きな存在であることは間違いない。そんなこととはお構いなしに、今日もバナバナはストリートを歩き続ける。扇風機、ティッシュ、シャンプー、鏡、おもちゃ、自分の将来、ありとあらゆるものを持って、歩き続ける。
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