アフリカ小僧、隠居日録

定年後の日常を、隠居所で気ままに書いてるブログです

私のパリ

 パリについて書かれた本は多い。小僧もいくつか読んできた。どれもいい本であった。なにしろ題材がパリ、間違いない。食材に金をかけた料理のようだ。

 

 いまでこそ、「掃いて捨てるほど」あるパリ関連の本だが、1970年代にはまだまだ貴重なものであったのではなかろうか?河盛好蔵が、精力的に新聞や雑誌に自らのフランス留学やフランス関連のお話を書いたのも、そんな1970年代であった。

 

 そもそも河盛好蔵(かわもり よしぞう)とはだれか?1902年に生まれ、2000年に97才で亡くなった長寿の文学者である。フランス文学研究者であり、評論家であり、随筆家でもあった。一言で言えば、、、いや一言で言えない多様な顔を持つ人であった。

 

 小僧も50年以上前にNHKで会ったことがある。高校生であった小僧は、どういうわけかNHKの高校生番組に出ることになり、そのときのゲストが河盛好蔵氏であった。本番前の打ち合わせで一緒に弁当を食ったのを覚えています。

 

 河盛好蔵がフランス留学したのは、1928年から30年、出発の時は数えで27才であったと書いている。1970年代に書かれた河盛のパリ関連の文章は、40年前の自らの留学時代を振り返るものも多い。20代後半の留学経験を70才を過ぎた老学者が書くのである。フツー、つまらない。ところが、河盛の「私のパリ」は読ませるのだ。すごいぞ。

 

 私が繰り返し読んでいるのは、「河盛好蔵 私の随想選 第一巻 私のパリ」だ。様々な時代に、様々な媒体に書いてきたものを、集大成した一本である。圧巻は、「スタンダール小路九番地」と題された章である。

 

 27才でパリに渡った河盛は、フランス語の個人教授の紹介を、秀才たちが集まる学校、エコールノルマルに依頼する。学校から推薦されてきたのが、ボーフレ君という学生であった。

 この若き日のボーフレ君との交流、そして40年以上経ち、お互い老年となったパリでの再会が描かれている箇所がおすすめである。標題の「スタンダール小路九番地」とは、独身をとおしたボーフレ君が現在住んでいる住所である。

 

 老年にさしかかった河盛が、静かで落ち着いた文体ながら、みずみずしい感覚で書いているのが素晴らしい。もしかしたら、その秘密は、河盛が70才を過ぎてなお定期的に仕事のため、自らの楽しみのため、パリを訪問し続けていたことによるのかもしれない。

 

 老いてなお、パリ訪問の体力、金力、感受性を維持できた河盛好蔵氏が、うらやましい!いや、素晴らしい、と思う小僧であった。

 

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